Re:me(リミー)は、わたしのための場所でした。
沖縄・国頭村に住み込みで働いていたある日、ふと心の中に静かに湧き上がった言葉がありました。
「わたしの住む場所は、ここだ」
その瞬間、国頭村という土地に心がふれ、"ここに根を下ろそう"と決めました。
そして、自分と同じように、国頭村の魅力に惹かれる人を増やしたいと思って、色々なことを経て「ゲストハウスへちま」を8年前に始めました。
わたしが惹かれたのは、自然と人のあたたかさでした。
わたしが国頭村に惹かれたのは、人のあたたかさや、自然と共にある暮らしのリズム、そしてゆるやかに流れる時間でした。
この場所は、人と人との距離がとても近くて、正直、ちょっと煩わしく感じることもあります。
それでも、「ああ、わたしは1人じゃないんだな」って思えるようなあたたかさがあって、わたしには、その近さがありがたかったんです。
飾らず、自然体でいられるこの空気にふっとなじんで、「ここで暮らしてみたい」って思ったのは、そのときだったのかもしれません。
最初は、伝えきれていなかった。
国頭村のファンを一人でも多く増やしたい。そんな想いで始めた“へちま”だけれど、最初の頃は、どこか表面的な部分もありました。
「この価格なら来てもらえるかな?」「このロケーションなら気に入ってもらえるかも」そんなふうに、“お客様の視点”ばかりを気にしていた気がします。
でも、へちまの本当の良さって、もっと奥にあって、当時の私はそれをちゃんと言葉にできていなかったんです。
忙しさのなかで、自分を置いてきぼりにしていた。
子どもが3人いて、夫も仕事柄家にいないことが多く、日々の暮らしや子育てを、無意識にずっと一人で抱えていました。
今思えば、「ちゃんとやらなきゃ」とも「がんばってる」とも思っていなくて、むしろ“前向きに楽しんでこなしている”つもりでした。
だけどある日、「マキさんは忍耐強いね」と言われて、その言葉が不思議と心に残っていて。
今になって、ようやくその意味が腑に落ちた気がします。
そうか、私はずっと、自分でも気づかないうちに、たくさんのことを我慢して、抱えて、一人でこなしていたんだなって。
身体の声が教えてくれたこと。
そうやって気を張り続けていたとも思っていなかった数年前、私は、病気になり身体の不調というかたちで“サイン”を受け取りました。
でも本当は、それまでずっと、自分でも気づかないうちに無理をしていたんです。
病気になってからは、できなくなったことも増えました。だけどそれは、わたしにこれ以上無理をさせないために、起きたことなのかもしれません。
一番この場所を必要としていたのは、わたし自身だった。
へちまで過ごす時間が、ただただ“自分を取り戻す時間”になっていたとき、ふと、こう気づきました。
「わたしがこの場所を必要としていたんだ」って。
誰に気をつかわなくていい。何かしなきゃって思わなくていい。そんな空間が、私には必要だったんだと。
それでも、価値を受け取ることをためらっていた。
この場所にちゃんと価値があること、本当は分かっていたのに、「このくらいの値段なら…」って、へちまの価値を低くしていたのは、自分でした。
でも、ある時ふと気づいたんです。
お客さんが支払うお金って、わたしに対してだけじゃなくて、お客さん自身が“自分のため”に払っているものでもある。
だから私が、へちまの価値を低く扱うことは、お客さんのことも、低く扱ってしまうことになる。
その気づきは、私にとってすごく大きなものでした。
Re:me(リミー)という名前に込めた願い。
“Re:me”は、「もう一度、わたしに還る」という意味です。
日常のなかで置いてきぼりにしていた「わたし自身」と、この場所でそっと再会してほしい。
決めなくていい。がんばらなくていい。静かじゃない日も、忙しい日も、このままの自分で、ただ、いていい。
そんな場所が、必要な人に届きますように。
これからは、宿泊施設を越えた「リミーができる場所」として。
今後のへちまは、ただの宿泊施設ではなく、“Re:meができる場所”としてのあり方を中心にしていきます。
泊まることを目的にするのではなく、「わたしに戻る時間」を過ごしに来る場所。
それがRe:meであり、これからのへちまのかたちです。
Re:meは、わたしの原点であり、これからの歩みです。
Re:meが、本当の意味で「自分のための場所だった」と気づいたのは、実はほんの最近のことです。
なんでこんなに気持ちが沈んでいたのか、何が引っかかっていたのか、いろんなことを自分で振り返って、少しずつ見えてきた景色がありました。
それは、この場所の本当の価値を、自分が受け取れていなかったこと。
Re:meは、わたし自身のためでもあり、ここを訪れてくれる誰かのためでもある。
そのことに気づけた今だからこそ、わたしはこの場所を、自信をもって「Re:me」と呼べるようになりました。
これからのRe:meが、誰かの「ただいま」になれたら嬉しいです。
比嘉 真紀
Re:me - Return to me -
Re:me(リミー)は、わたしのための場所でした。
沖縄・国頭村に住み込みで働いていたある日、ふと心の中に静かに湧き上がった言葉がありました。
「わたしの住む場所は、ここだ」
その瞬間、国頭村という土地に心がふれ、"ここに根を下ろそう"と決めました。
そして、自分と同じように、国頭村の魅力に惹かれる人を増やしたいと思って、色々なことを経て「ゲストハウスへちま」を8年前に始めました。
わたしが惹かれたのは、自然と人のあたたかさでした。
わたしが国頭村に惹かれたのは、人のあたたかさや、自然と共にある暮らしのリズム、そしてゆるやかに流れる時間でした。
この場所は、人と人との距離がとても近くて、正直、ちょっと煩わしく感じることもあります。
それでも、「ああ、わたしは1人じゃないんだな」って思えるようなあたたかさがあって、わたしには、その近さがありがたかったんです。
飾らず、自然体でいられるこの空気にふっとなじんで、「ここで暮らしてみたい」って思ったのは、そのときだったのかもしれません。
最初は、伝えきれていなかった。
国頭村のファンを一人でも多く増やしたい。そんな想いで始めた“へちま”だけれど、最初の頃は、どこか表面的な部分もありました。
「この価格なら来てもらえるかな?」「このロケーションなら気に入ってもらえるかも」そんなふうに、“お客様の視点”ばかりを気にしていた気がします。
でも、へちまの本当の良さって、もっと奥にあって、当時の私はそれをちゃんと言葉にできていなかったんです。
忙しさのなかで、自分を置いてきぼりにしていた。
子どもが3人いて、夫も仕事柄家にいないことが多く、日々の暮らしや子育てを、無意識にずっと一人で抱えていました。
今思えば、「ちゃんとやらなきゃ」とも「がんばってる」とも思っていなくて、むしろ“前向きに楽しんでこなしている”つもりでした。
だけどある日、「マキさんは忍耐強いね」と言われて、その言葉が不思議と心に残っていて。
今になって、ようやくその意味が腑に落ちた気がします。
そうか、私はずっと、自分でも気づかないうちに、たくさんのことを我慢して、抱えて、一人でこなしていたんだなって。
身体の声が教えてくれたこと。
そうやって気を張り続けていたとも思っていなかった数年前、私は、病気になり身体の不調というかたちで“サイン”を受け取りました。
でも本当は、それまでずっと、自分でも気づかないうちに無理をしていたんです。
病気になってからは、できなくなったことも増えました。だけどそれは、わたしにこれ以上無理をさせないために、起きたことなのかもしれません。
一番この場所を必要としていたのは、わたし自身だった。
へちまで過ごす時間が、ただただ“自分を取り戻す時間”になっていたとき、ふと、こう気づきました。
「わたしがこの場所を必要としていたんだ」って。
誰に気をつかわなくていい。何かしなきゃって思わなくていい。そんな空間が、私には必要だったんだと。
それでも、価値を受け取ることをためらっていた。
この場所にちゃんと価値があること、本当は分かっていたのに、「このくらいの値段なら…」って、へちまの価値を低くしていたのは、自分でした。
でも、ある時ふと気づいたんです。
お客さんが支払うお金って、わたしに対してだけじゃなくて、お客さん自身が“自分のため”に払っているものでもある。
だから私が、へちまの価値を低く扱うことは、お客さんのことも、低く扱ってしまうことになる。
その気づきは、私にとってすごく大きなものでした。
Re:me(リミー)という名前に込めた願い。
“Re:me”は、「もう一度、わたしに還る」という意味です。
日常のなかで置いてきぼりにしていた「わたし自身」と、この場所でそっと再会してほしい。
決めなくていい。がんばらなくていい。静かじゃない日も、忙しい日も、このままの自分で、ただ、いていい。
そんな場所が、必要な人に届きますように。
これからは、宿泊施設を越えた「リミーができる場所」として。
今後のへちまは、ただの宿泊施設ではなく、“Re:meができる場所”としてのあり方を中心にしていきます。
泊まることを目的にするのではなく、「わたしに戻る時間」を過ごしに来る場所。
それがRe:meであり、これからのへちまのかたちです。
Re:meは、わたしの原点であり、これからの歩みです。
Re:meが、本当の意味で「自分のための場所だった」と気づいたのは、実はほんの最近のことです。
なんでこんなに気持ちが沈んでいたのか、何が引っかかっていたのか、いろんなことを自分で振り返って、少しずつ見えてきた景色がありました。
それは、この場所の本当の価値を、自分が受け取れていなかったこと。
Re:meは、わたし自身のためでもあり、ここを訪れてくれる誰かのためでもある。
そのことに気づけた今だからこそ、わたしはこの場所を、自信をもって「Re:me」と呼べるようになりました。
これからのRe:meが、誰かの「ただいま」になれたら嬉しいです。
比嘉 真紀
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